世界一周の旅(西双版納4日目)

10apr1992(fri)晴れ

朝6時起床。

メコン川の河原まで散歩に行く。朝もやに包まれ、昇りはじめた太陽にキラキラ輝くメコン川がとても美しかった。

昨日カゼをひいたのか熱があったので、今日はゆっくり過ごすことにし、まずは今後の予定を立ててみる。明後日行われる、水かけ祭りを見物した後、昆明に戻りそこを拠点として、大理、麗江、石林を周るという予定が、今回の中国での日程を最大限引き延ばした内容だ。

中国での予想もつかない日程の浪費で、インドへ陸路での国境越えは、その後のヨーロッパ、アメリカの滞在に加え、日本へ帰国する日を逆算して考えると、日数的にかなり難しい状況に陥ってしまったのだ。残念だが、中国北方地域は又の機会に委ねることとし、中国での観光Visaがそろそろ切れそうだったので、更新に公安(警察署)に行く。

確か延長は2週間までで、それ以上の滞在は、いったん中国を出て、国外で再度Visa申請しなければならなかったと記憶する。他の国を周るスケジュールを考えると、帰国日までの余裕がないので、ギリギリ2週間の延長を申請。延長申請料25元。人民幣(RMP)を出すが、FECでしか受け付けないと言われる。

兌換券(FEC=Foreign Exchange Certificate)※Wikipedia へ

つづく…

Sハウスイメージ

自然素材で仕上げを構成することは以前書いた。

周囲を囲いとった外壁は土を使い荒々しさを表現。
中心の家屋部分は板張をイメージしてみた。

当然、メンテナンスの事も考えておかなければならないが、経年変化に馴染んでいくというか、仕上げの風合いが増し、それが建物の味になるようなことを考えてみたい。

世界一周の旅(昆明~西双版納)

05apr1992(wed)晴れ

3日、西双版納行きのバスチケットを求め、昆明市内を彷徨った。

ようやく探し出したチケット売り場で乗車券を買おうとしたが、機械が壊れていて発券できないとのことで、翌4日、やっと乗車券を入手。(ペラッペラの透けるような紙製の乗車券)当時の中国はそんな感じで、チケット入手が本当に大変だった。昆明~西双版納までの行程、約660kmのバス代50元(1,250円)

ホテルの窓から

朝5時頃、目が覚める。身支度をし、バスターミナルへ向かう。
8時10分、バスが発車。これ本当に走るの?って状態のポンコツ車。バスの中は狭く、お決まりの様にやっぱり硬い座席の上、身動きできないくらい、ぎゅうぎゅう詰めにされる。陸路での移動は、とにかく耐える!こと。忍耐が必要。様々に変化する景色を楽しむ余裕すら殺がれる設備と環境。

デコボコ道の反動で尻が浮くくらい飛び上がる。その度に首がぐらんぐらんと左右に揺れる。しっかり力を入れてないと、ムチ打ちになりそうだ。

夕刻前、バスがとある町で停まり、皆ぞろぞろと降りていく。え?なに?この時間に??クエスチョンマークが、ぐわ~ん!と、怒涛の如く押し寄せる。

全員、とある建物に入っていく。一緒に中に入ってみると、どうやらここで宿泊するらしい。

をぃ、をぃ!
聞いてないよ~!!

当然、ホテル代込みのバス料金ではないので、各々フロントで受付を済ませ、各部屋に散っていく。物凄い片田舎の中国の中心で

中国語も話せない日本人が、どうしろっちゅうね~ん!

と、とりあえず叫びたい。
ほんと中国、どうなってんか分からん。ワケの分からぬままその流れで、フロントで適当にニコニコして、お金を払って部屋に行く。朝から何も食べてなかったので、猛烈に腹が減ってることに気付き、外へ出て食堂を探す。

道端に「甘荘」と書かれた看板が立っている。そこでようやくここが甘荘という所だと知る。そんな日程だとは知らされずにバスに乗ったものだから、夜通し走るのだと思っていた。そこは、バスで昆明から南西へ230㎞ほど走ったところに位置する小さな村だった。

ちなみに、GoogleMapsで調べてみると、現在は高速道路が通り、昆明から車で2、3時間で行けるようだ。

つづく

金銭出納
朝:なし
昼:なし
夜:牛ネギ炒め、白菜炒め、米飯、ビール 計5.2元
タバコ8元、ペプシコーラ1.25L(5元)、落花生7角、旅社(ホテル代)6.1元、シャワー5角 合計25.5元(626円)
※ホテル代6.1元よりタバコ(マールボロ)8元の方が高い!

世界一周の旅(昆明~西双版納)

04apr1992(wed)晴れ

この旅の目的は、きちんとした建築学を学んでいない自分にとっての「建築を学ぶ旅」という位置付けでもある。単に、異国の地を見て回りたいだけの、一時の感情だけではない。

といういのも、この旅に出かける直前まで、東京の設計事務所(團+青島建築設計事務所)に勤めていた。團さん、青島さん、そして事務所の仲間に、ものすごく刺激を受け、建築の世界で生きて行こうと、このとき心に誓った。この事務所に勤めていなければ、いまの自分は無かったと、断言できる。それまでは一級建築士なんて、遠い、遠い、存在に思えたのだから。

だけど、建築をちゃんと学んでいない自分にとっては、すべてが未知の世界。大学の建築学科へ進学しようと思ったこともあるが、学費やその他諸々のハードルが頭をもたげる。じゃあ、独学するしかない!と、一念発起。様々な建築専門書を読み漁ったが、机上での勉強が嫌いだった自分には、いまひとつ身に入ってこない。少し、視点を変えて、実際の建築を見た方がイイんじゃね?と。百聞は一見に如かず!!社会が自分の教師というスタンスなんてワクワクするやん!しかも、学費を貯めるなら、その半分以下の費用で、旅費に充てた方がなんかお得感アリアリやで~!!というワケの分からん理由をこじ付けて。

思い込んだら鉄砲玉。 食費を切り詰め、半年間コツコツと費用を貯めた(この時、いまのカミさんと結婚する前提だったから、その資金も同時に貯めていたので、相当生活を切り詰めた)で、その事務所で一緒に働いていた、普段から良くしてくれていた先輩から、中国に行くんだったら、西双版納(シーサンパンナ)がイイぜ!是非行ってみてよ!と言われていた。

前置きが長くなってしまったが
本当は、西双版納よりも、楼蘭とか烏魯木斉とか行ってみたかった。実際、その予定だったが、長江を遡るという流れで、行きついた先が昆明。成都から西安、烏魯木斉、そこから国境を越えなんて朧気に考えていたが、現実はそう甘くはなかった。そもそも、結婚式を半年後に控えていたこともあり、期間に制限があったこと。ギリギリの予算だったこと。全部現地で情報を仕入れ、チケットも現地手配。当時の中国はそもそもチケット売り場がどこにあるのか?一日中歩き回っても情報が得られないということはザラ。見つけたとしても、おしくらまんじゅうでヘトヘトになり、あぁ、もうちょっと滞在延ばすかとなり、チケット入手するだけで、あっという間に日数が経ってしまう。費用を抑えるため、基本的に国内の移動は陸路が前提だったため、中国滞在は1か月間という期限に、あっという間に迫り、急遽、昆明から飛行機でタイへ飛ぶことにして、近隣の西双版納や、大理、石林を回ろうというプランに変更したのだった。

長くなったので、この辺で。
次回へと、つづく

雲南省名物、過僑米線。米の麺。この麺にハマって雲南省では、朝と昼こればかり食ってた。日本円にすると、これだけのクオリティーで1杯15円ほど!!

金銭出納
朝:インスタントラーメン、オレンジ×2
昼:米線0.7元
夜:麻婆豆腐、牛ネギ炒め、米飯 計5元
食堂近くの露天にてビール2本(3元)購入し、持ち込み。
博物館(少数民族資料館)5元、動物園6角、パンフレット1元、水筒10元、昆明~西双版納バスチケット50元、少数民族に関する書籍4.4元、ポーチ10元、財布8元、シシカバブ4角 合計98元(2,404円)

世界一周の旅(昆明3日目)

03apr1992(wed)晴れ

日中は、Tシャツで充分な陽気。

ここ昆明(雲南省)では、町の至る所でカラフルな民族衣装を着た、少数民族を見ることができる。少数民族が多数混在する地域でもある。

その少数民族のサニ族、らしきオネーさんたち
というのも、漢民族が民族衣装を着て、何かやらかしてることも暫しあるらしい。その当時は、外国人が持てる外人貨幣と、人民紙幣との間にレート差があって、高値で闇換金してくれたのだ。

ホテルを出る度に、玄関前で待ち受ける民族衣装を着たオネーさん達に、外国人と見るな否やチェンジマネ~?と、必ず声を掛けられる。割と換金率が良いし、銀行に行っても額面は同じなので、当然換金なんてものは存在しないから、そのオネーさん達から毎度、人民紙幣に換金してもらい額を増やすというのはいつものこと(汗)※闇換金だから、公安(警察)に見つかるとタダでは済まされない。

民族衣装に施したように、カラフルな刺繍の財布やらポーチやらを土産物として、様々なものをついでに押し付けてくるのは、彼女らの常套手段。その度に断るが、闇換金の常連ともなると顔見知りになり、彼女たちのニコニコ顔そのうちニタニタ顔に変わる。そのしつこさに断り切れず、結局買う羽目になるんだけどね(汗)

次回につづく

スケッチ

盛岡市の某住宅のためのスケッチ。

この時は…というか、いつもそうだけど、外部との関係を真っ先に考えることにしている。ひとつ目は、クラスター状に各ヴォリュームを配し、それが外部におけるの建物の見え方や、クラスター状に配置したことによる多方向からの風景が内部に導かれる。様々な角度や視点の違いによる内部空間への影響等を考えながらスケッチ。2つ目は、内部空間、庭、内部空間と並列に配置し、純粋に庭との関係性をシンプルに考えた案。

この計画案も同様。
この計画地に対しての外部空間のスタディ。

やはりどれも外部との関係性が計画の出発点というのは、昔も今も変わらない。

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