世界一周の旅(昆明~西双版納)

05apr1992(wed)晴れ

3日、西双版納行きのバスチケットを求め、昆明市内を彷徨った。

ようやく探し出したチケット売り場で乗車券を買おうとしたが、機械が壊れていて発券できないとのことで、翌4日、やっと乗車券を入手。(ペラッペラの透けるような紙製の乗車券)当時の中国はそんな感じで、チケット入手が本当に大変だった。昆明~西双版納までの行程、約660kmのバス代50元(1,250円)

ホテルの窓から

朝5時頃、目が覚める。身支度をし、バスターミナルへ向かう。
8時10分、バスが発車。これ本当に走るの?って状態のポンコツ車。バスの中は狭く、お決まりの様にやっぱり硬い座席の上、身動きできないくらい、ぎゅうぎゅう詰めにされる。陸路での移動は、とにかく耐える!こと。忍耐が必要。様々に変化する景色を楽しむ余裕すら殺がれる設備と環境。

デコボコ道の反動で尻が浮くくらい飛び上がる。その度に首がぐらんぐらんと左右に揺れる。しっかり力を入れてないと、ムチ打ちになりそうだ。

夕刻前、バスがとある町で停まり、皆ぞろぞろと降りていく。え?なに?この時間に??クエスチョンマークが、ぐわ~ん!と、怒涛の如く押し寄せる。

全員、とある建物に入っていく。一緒に中に入ってみると、どうやらここで宿泊するらしい。

をぃ、をぃ!
聞いてないよ~!!

当然、ホテル代込みのバス料金ではないので、各々フロントで受付を済ませ、各部屋に散っていく。物凄い片田舎の中国の中心で

中国語も話せない日本人が、どうしろっちゅうね~ん!

と、とりあえず叫びたい。
ほんと中国、どうなってんか分からん。ワケの分からぬままその流れで、フロントで適当にニコニコして、お金を払って部屋に行く。朝から何も食べてなかったので、猛烈に腹が減ってることに気付き、外へ出て食堂を探す。

道端に「甘荘」と書かれた看板が立っている。そこでようやくここが甘荘という所だと知る。そんな日程だとは知らされずにバスに乗ったものだから、夜通し走るのだと思っていた。そこは、バスで昆明から南西へ230㎞ほど走ったところに位置する小さな村だった。

ちなみに、GoogleMapsで調べてみると、現在は高速道路が通り、昆明から車で2、3時間で行けるようだ。

つづく

金銭出納
朝:なし
昼:なし
夜:牛ネギ炒め、白菜炒め、米飯、ビール 計5.2元
タバコ8元、ペプシコーラ1.25L(5元)、落花生7角、旅社(ホテル代)6.1元、シャワー5角 合計25.5元(626円)
※ホテル代6.1元よりタバコ(マールボロ)8元の方が高い!

世界一周の旅(昆明3日目)

03apr1992(wed)晴れ

日中は、Tシャツで充分な陽気。

ここ昆明(雲南省)では、町の至る所でカラフルな民族衣装を着た、少数民族を見ることができる。少数民族が多数混在する地域でもある。

その少数民族のサニ族、らしきオネーさんたち
というのも、漢民族が民族衣装を着て、何かやらかしてることも暫しあるらしい。その当時は、外国人が持てる外人貨幣と、人民紙幣との間にレート差があって、高値で闇換金してくれたのだ。

ホテルを出る度に、玄関前で待ち受ける民族衣装を着たオネーさん達に、外国人と見るな否やチェンジマネ~?と、必ず声を掛けられる。割と換金率が良いし、銀行に行っても額面は同じなので、当然換金なんてものは存在しないから、そのオネーさん達から毎度、人民紙幣に換金してもらい額を増やすというのはいつものこと(汗)※闇換金だから、公安(警察)に見つかるとタダでは済まされない。

民族衣装に施したように、カラフルな刺繍の財布やらポーチやらを土産物として、様々なものをついでに押し付けてくるのは、彼女らの常套手段。その度に断るが、闇換金の常連ともなると顔見知りになり、彼女たちのニコニコ顔そのうちニタニタ顔に変わる。そのしつこさに断り切れず、結局買う羽目になるんだけどね(汗)

次回につづく

世界一周の旅(昆明)

01apr1992(wed)くもりのち晴れ

重慶から昆明まで24時間。一番安いクラス(硬座)の硬いシートで、ゴミの山と、ワイワイガヤガヤ感が四六時中続くという地獄絵図列車

シートは、硬座というだけあって、メチャクチャ硬く、リクライニングも無し。30分おきに、お尻半分ずつ交互に浮かせ、休ませるというテクニックは必須。とてもじゃないが、ベタ尻で座った日にゃ、ケツが4つに割れそうだ

お尻が、お尻が

ヒイィ~、ハァ~!!

深夜にもかかわらず、ワイワイガヤガヤ、お尻は4つに割れそうそんな状態だから、寝ようにも寝れず、そうこうするうちに空が白み始め、昆明駅に12:02到着。一昨日からの重慶駅野宿と併せて、48時間もの不眠。列車を降りたとたん、脚が地に着かずフワフワする。

しかし、サスガ昆明。上海やこれまでの都市とは違い、ずいぶん暖かい。晴れの良い天気も手伝ってか、体感的にはこれまでの気温より10度以上は暖かい気がする。気分はルンルンだ~w

早速、今日の宿を探さないとイケナイ。もぅ、野宿はイヤだ
当時、日本人海外旅行者のバイブル的存在、地球の歩き方を頼りに、片っ端から安宿を探し回る。しかしどこをあたっても没有!(おまへん!!)の一点張り。ホンマ疲れるねん、中国。

またかよぉ、重慶の記憶が頭をかすめる。考えてみると、ヤバイよ、ヤバイよ~のフレーズは、出川哲郎よりずっと前にオレが普通に使ってた気がする

途方に暮れる。が、ちょっとまて!いま一度冷静になれ!!我に返り、ふっと周りをみると、ちょいちょい外国人旅行者(バックパッカー)おれへん?あれ、コイツらどこいくんやろ?今日の宿は?絶対安宿に泊まるんちゃうん!という、外国人旅者三段活用が脳裏を過ぎった!これや~!!

ストーカー如く、後をつけてみる。

ビンゴおぉ~っ!!

結構立派な飯店だが、フロントで部屋を聞いてみると、ドミトリー(多人房)で1泊10元(250円ほど)

キタ~!!

これで一安心。さっそくチェックインし、荷物を解く。シングルベッドが10台ほど並ぶ大部屋。普通は2段ベッドだけど、ここはシングルベッド!しかも偶然に、大阪から上海までのフェリーの中で知り合った日本人が居た。男女混合部屋というのが当たり前で、女子も堂々としたもの。さすがに男女共にパンツ一丁は居ないが 当時は、外国人旅行者と言えば、大体が日本人かドイツ人。タマに、フランス人とかだったけど、ドイツ人は日本人にとても親切。

その日の夜は、同室の日本人たちとワイワイ、近くの食堂で夕食。朝から何も食べておらず、無我夢中に食べ、そして久しぶりに楽しい夕食となった。

次回へと、つづく

01apr1992支出********
朝:食事なし、昼:食事なし、夜:色んなものをドミトリーの人たちと(13元)、タバコ2箱(4元)、ジュース(5元)、バス(4角) 計32.4元(794円) ※中国の食費は、酒代も入っての額だから、他の物価の割合からすると相当安い。特徴的なのは、コーラとか洋物ジュースが高価。しかも冷えてない。地元のビールの方がよっぽど安い!でも生ぬるいので、んぐんぐ、ぷっはぁ~!!とはいかない。作家の椎名誠が、アジア圏のビールを、馬ションビール(馬のしょんべんビール)と例えていたが、あながちハズレでもなく、言い得てミョ~な、代物。

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