世界一周の旅(重慶~昆明)

30mar1992(mon)~31(tue)くもり

辺りは薄暗くなり、夕方6時頃、ようやく重慶駅にたどり着く。早速、少しは寝なきゃと、良さ気な場所を探す。

重慶售票処の建物内は人だかりで、寝れそうな場所は既に現地の人々で占領され、床に座る隙間さえない状態。すでに毛布にくるまって寝てる人もいる。仕方ないので、外ベンチで一夜を明かすことにした。この旅で初めての野宿、ちょっとドキドキ。とにかく寒い。30分ほどウトウトするが、4人掛けのベンチだというのに、6人くらいでおしくらまんじゅう。で、結局寝れない。

深夜0時。駅の広場は灯りひとつなく真っ暗闇。にもかかわらず、人々のひっきりない往来。そして例の中国人のガヤガヤ感は、まったくもってイラっとさせる。声がやたらとデカイ上に、早口で強弱の効いたあの独特のイントネーションが、更にイライラ感をつのらせる。公衆エチケットの概念があからさまに欠如しているので、女性でも平気でその辺に痰をぺっぺと吐く。ティッシュなんてないので皆、手鼻がうまい。ちぃ~ん!スパっ!!と、歯切れの良いテバナ(汗)子供がオシッコと言うと、広場の適当な場所でシャーっとさせる。だから子供には最初から、前とお尻に穴の開いたズボンを履かせている。合理的だ(笑)

食べ物のカスはもちろん、種好きが高じ、ヒマワリ、スイカ、ナンキンマメ、ありとあらゆる種の殻を膨大に排出し、ぺっぺと周辺にまき散らすので大量のゴミの山が、あちこちに積み上がる。ゴミ箱に捨てるという考えは全くない。あるいは、ゴミ箱が無いから持ち帰るということもない。人から排出されるモノは、すべてゴミじゃないという考えだ。そう断言する!人が息を吸って、吐く=モノを食べて、出す。というように、現地の人々にとっては生理現象の延長上にあり、しかしそれは社会一般で言うところのゴミなんだぜと、諭してやりたい(汗)

地面はもちろん、ありとあらゆる平面が、ゴミ箱と化す。いや斜面も。いったん手に取るか、何かにくるんで捨てるならまだしも、老若男女、皆せっせ、ペッペッと吐き捨てる。それはそれは、驚くべき国民性と言おうか、社会性と言おうか、、、

深夜2時頃、ようやく人々の往来はおさまり、辺りは静けさに包まれ、、、
たかと思いきや、バスも走ってないと思う3時頃、どこからともなく、ど~っ!と人が押し寄せてきた。わぉ!団体で押し寄せる勢い。こ、コワイ、恐怖すら感じさせる光景。

朝の4時。まだ薄暗い中、天秤棒のバケツから、もうもうと湯気を放ちながら、何かを売り歩くおばちゃん。バケツの中を見るとお粥。「アツアツの粥、アツアツの粥、いらんかぇ~」みたいな感じで、待合の人々に売り歩いているのだ。「どや、これウマイで、買わへん?」と、声を掛けてくるが、ほとんど寝ておらず、朦朧とした気分では食欲も湧いてこない。

結局、ベンチに座ったまま、朝を迎えたのだった。(当時の日記を加筆)

中で寝ることはあきらめ、少し駅周辺をブラブラしてみる。基本的に真っ暗という印象で、露店の灯りでようやく足元が確認できる感じ。宿の呼び込みらしき婆さんが声を掛けてくる。その婆さんに応じ、我是日本人…日本人だけど泊まれるか?と聞いてみるが、婆さん、は?という顔でキョトンとしている。傍にいたおっちゃんが見かねてか「この人日本人だってさ」と喋ってくれた。察するに、日本人という発音が婆さんには聞き取れなかったのだろう(汗)、、、すると途端に、いままで穏やかだった婆さん、別人になったかのような態度で、不、不!!(ダメ、ダメ、あきまへんがな!)って。当時、日本人観光客は珍しい部類に入り、ましてや反日感情という概念すら浮き彫りにされていなかった時代だったと思うが、基本的に外国人が泊まれる宿は限られていた。小さな宿(旅社、招待所)は、人民しか泊まれないという制限があった。
つづく

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