スケッチ

盛岡市の某住宅のためのスケッチ。

この時は…というか、いつもそうだけど、外部との関係を真っ先に考えることにしている。ひとつ目は、クラスター状に各ヴォリュームを配し、それが外部におけるの建物の見え方や、クラスター状に配置したことによる多方向からの風景が内部に導かれる。様々な角度や視点の違いによる内部空間への影響等を考えながらスケッチ。2つ目は、内部空間、庭、内部空間と並列に配置し、純粋に庭との関係性をシンプルに考えた案。

この計画案も同様。
この計画地に対しての外部空間のスタディ。

やはりどれも外部との関係性が計画の出発点というのは、昔も今も変わらない。

ロープレ

ロール・プレイング、いわゆる役割演技。
…イヤな響き。

今週末、建築士資格講座学校の講師研修があり、そこで実施しなければならない。と言っても、今回は指導講師の立場なので、自分は実施しなくて済む(ホッ)けど、いつもは実演し、助けてぇ~!状態の自分が居て💦

良い点、真似したい点よりも、改善指摘事項の方が多く、いつも気持ちが凹んでしまう。そういう自分に前向きになれず、毎回ロープレ葛藤が始まる。

ワ~ィ!実演しなくて済む~!
と素直に喜べない。なんせ今回のまとめ役を司ってるので、気は抜けない。というか、いつもよりプレッシャー。

そもそもロープレって何?
建築設計事務所の主催者としては、ソンなものには縁遠く、講師業を引き受けた時点でいきなりやらせられ、こういうのに慣れてないので、ええトシこいたおっちゃんが、しどろもどろになる。学科の他に、製図もあるので年に少なくとも2回はやらないといけないので、も~ぅ大変!まさに、いつもの自分より誇大表現的な演技をしないといけない訳だから、舞台俳優になりきったつもりでやらないとアカンのよ。しかし、やる前から気持ちが凹んでるので、上手くいくはずがない(笑)

そう、まさにソコやん!
うまくいくためには、ロープレそのものの意図を知らないとイケナイ。
演技するため、今回は演技してもらうために、進行役として自分なりの方策を考えないとイケナイんだろうなぁ…ということにたどり着き、ちょっと調べてみた。 研修、明日なんだけどねぇ💦

・・・

自分が受け持つ実際の講義に関しては、吉本新喜劇風に楽しくできないかと模索中(笑)

木造建築(構造)設計養成講座

中大規模木造建築の構造を中心とした設計講座を、一昨日受講してきた。

構造の中でも木造は特殊で、構造を生業としている構造設計者でも、住宅系の小規模建築以外の木構造に関しては得意不得意があり、それくらいRC造やS造とは一線を引く独特な構造形式でもある。

とは言っても、大規模建築で法規的にも不利な木造をわざわざ選択するという機会は滅多にない。あえて意匠的な側面で木造にする、という意図を持たない限りはコンクリートか鉄骨が普通である。意匠的な意図があったとしても、主構造は鉄骨等で、仕上に木を使うということの方が合理的で、法的にも、建築物そのものの安全上の意味においても理に適っている。

では何故?受講したかと言うと、建築設計以外に、建築士資格試験の学科構造講師も務めていて、構造分野という広義の意味においての学習を意図したもの。そんなことがない限り、先ほどの工法的合理性を考えたときに小規模建築以外の建物に、木造を選択するということはない。つまり、受講はしなかったろうと思う。

今回のテーマは木構造だったが、講座や講演そのものの受講という意味においては、我々設計者は職能技術者としての資質や倫理観向上の上では、必要不可欠なものといえるだろう。

開口部の検討

基本設計や初期のコンセプトに基づき、概ね決めていた開口部について再度、詳細に検討しているところ。居室があるから窓を設けるという発想ではなく、光や風の入り方、外部との関係性を方位や時系列に配慮しつつ、スケッチや図面、さらには模型を作りながら立体で考え、最終決定する。

光というのは、闇、影との相互関係にある。影があるからこそ、光の意味合いを肌で感じられるのだと思い設計している。設計者自らの経験値に基づく感覚的な側面もあり、中々単純にはいかず、かなり神経を使う部分でもある。

設計の要は、平面計画も当然大事だが、断面構成や開口の扱いであると思っている。開口の扱いひとつで、同じ空間でも意味が全く違うものになるものである。

上にスクロール