世界一周の旅(昆明3日目)

03apr1992(wed)晴れ

日中は、Tシャツで充分な陽気。

ここ昆明(雲南省)では、町の至る所でカラフルな民族衣装を着た、少数民族を見ることができる。少数民族が多数混在する地域でもある。

その少数民族のサニ族、らしきオネーさんたち
というのも、漢民族が民族衣装を着て、何かやらかしてることも暫しあるらしい。その当時は、外国人が持てる外人貨幣と、人民紙幣との間にレート差があって、高値で闇換金してくれたのだ。

ホテルを出る度に、玄関前で待ち受ける民族衣装を着たオネーさん達に、外国人と見るな否やチェンジマネ~?と、必ず声を掛けられる。割と換金率が良いし、銀行に行っても額面は同じなので、当然換金なんてものは存在しないから、そのオネーさん達から毎度、人民紙幣に換金してもらい額を増やすというのはいつものこと(汗)※闇換金だから、公安(警察)に見つかるとタダでは済まされない。

民族衣装に施したように、カラフルな刺繍の財布やらポーチやらを土産物として、様々なものをついでに押し付けてくるのは、彼女らの常套手段。その度に断るが、闇換金の常連ともなると顔見知りになり、彼女たちのニコニコ顔そのうちニタニタ顔に変わる。そのしつこさに断り切れず、結局買う羽目になるんだけどね(汗)

次回につづく

世界一周の旅(昆明)

01apr1992(wed)くもりのち晴れ

重慶から昆明まで24時間。一番安いクラス(硬座)の硬いシートで、ゴミの山と、ワイワイガヤガヤ感が四六時中続くという地獄絵図列車

シートは、硬座というだけあって、メチャクチャ硬く、リクライニングも無し。30分おきに、お尻半分ずつ交互に浮かせ、休ませるというテクニックは必須。とてもじゃないが、ベタ尻で座った日にゃ、ケツが4つに割れそうだ

お尻が、お尻が

ヒイィ~、ハァ~!!

深夜にもかかわらず、ワイワイガヤガヤ、お尻は4つに割れそうそんな状態だから、寝ようにも寝れず、そうこうするうちに空が白み始め、昆明駅に12:02到着。一昨日からの重慶駅野宿と併せて、48時間もの不眠。列車を降りたとたん、脚が地に着かずフワフワする。

しかし、サスガ昆明。上海やこれまでの都市とは違い、ずいぶん暖かい。晴れの良い天気も手伝ってか、体感的にはこれまでの気温より10度以上は暖かい気がする。気分はルンルンだ~w

早速、今日の宿を探さないとイケナイ。もぅ、野宿はイヤだ
当時、日本人海外旅行者のバイブル的存在、地球の歩き方を頼りに、片っ端から安宿を探し回る。しかしどこをあたっても没有!(おまへん!!)の一点張り。ホンマ疲れるねん、中国。

またかよぉ、重慶の記憶が頭をかすめる。考えてみると、ヤバイよ、ヤバイよ~のフレーズは、出川哲郎よりずっと前にオレが普通に使ってた気がする

途方に暮れる。が、ちょっとまて!いま一度冷静になれ!!我に返り、ふっと周りをみると、ちょいちょい外国人旅行者(バックパッカー)おれへん?あれ、コイツらどこいくんやろ?今日の宿は?絶対安宿に泊まるんちゃうん!という、外国人旅者三段活用が脳裏を過ぎった!これや~!!

ストーカー如く、後をつけてみる。

ビンゴおぉ~っ!!

結構立派な飯店だが、フロントで部屋を聞いてみると、ドミトリー(多人房)で1泊10元(250円ほど)

キタ~!!

これで一安心。さっそくチェックインし、荷物を解く。シングルベッドが10台ほど並ぶ大部屋。普通は2段ベッドだけど、ここはシングルベッド!しかも偶然に、大阪から上海までのフェリーの中で知り合った日本人が居た。男女混合部屋というのが当たり前で、女子も堂々としたもの。さすがに男女共にパンツ一丁は居ないが 当時は、外国人旅行者と言えば、大体が日本人かドイツ人。タマに、フランス人とかだったけど、ドイツ人は日本人にとても親切。

その日の夜は、同室の日本人たちとワイワイ、近くの食堂で夕食。朝から何も食べておらず、無我夢中に食べ、そして久しぶりに楽しい夕食となった。

次回へと、つづく

01apr1992支出********
朝:食事なし、昼:食事なし、夜:色んなものをドミトリーの人たちと(13元)、タバコ2箱(4元)、ジュース(5元)、バス(4角) 計32.4元(794円) ※中国の食費は、酒代も入っての額だから、他の物価の割合からすると相当安い。特徴的なのは、コーラとか洋物ジュースが高価。しかも冷えてない。地元のビールの方がよっぽど安い!でも生ぬるいので、んぐんぐ、ぷっはぁ~!!とはいかない。作家の椎名誠が、アジア圏のビールを、馬ションビール(馬のしょんべんビール)と例えていたが、あながちハズレでもなく、言い得てミョ~な、代物。

世界一周の旅(重慶~昆明)その3

1apr1992(wed)くもりのち晴れ

少し間が空いてしまったが、重慶からボロボロの列車に乗り込み、大丈夫か〜ぃ!と不安になったところからの話しの続き。

で、やっぱり中国人の喧騒とゴミの山。どこへ行っても、ウルサイことと、ゴミの山はつきまとう。種好きなことは前にも書いたが、スイカ、ヒマワリ、カボチャあらゆる種や、果物の皮、食後のゴミといった食べ物のカス類が、床のいたるところに吐き捨てられる。歩く隙間もないほどに。

そのゴミを、服務員のおばちゃんが定期的に、通路の中央部へとうずたかくてんこ盛りに積み上げては去っていく。

を〜ぃ!片付けへんのか〜ぃ!!

列車と列車の連結部には、トイレがあり、給湯器(ボイラー)まで備え付けてある。いつでもお茶が飲めまっせ~!と、言わんばかりに。実際、中国の人々はお茶好きで、みんなコーヒーの空き瓶?を持ち歩いている。空き瓶に茶葉とお湯を入れる。それを常に携帯し、ちびちびと飲んでは、蓋を閉めしている。おにーちゃん、おねーちゃん、おっちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、ほぼ全員がそのスタイル。中には花柄の陶器製蓋つき巨大マグカップみたいなものを持ってる人も居るが、大体はインスタントコーヒーの空き瓶だ~!

つづく

世界一周の旅(重慶~昆明)その2

31mar1992(tue)くもり

前回からのつづき
宿に泊まれず、重慶駅の外ベンチで夜を明かした次の朝。

重慶は、とにかく坂の多い町。建物が山にへばり付き、折り重なる。

やっぱり早朝から騒がしい。それが昨夜とはまた違った騒々しさなのだ。駅舎の中に入ってみると、嫌な予感と同時に、目の前の状況を疑った!ひと晩中寝れず朦朧とした頭では、一瞬何が起きているのか分からなかったが

ま、窓口が!窓口が~!!
長蛇の列?いや、人の塊りで埋め尽くされてるやん。炎上しとるやん!!

あか~ん!!

時計をみると切符売場が開いたのは、えっ?まだ朝の5時やねんけど!
って、時すでに遅し。例の、おしくらまんじゅうが窓口の前で始まっている。ゴルァ!お前ら、並べへんのか~ぃ!と、日本語でツッコんでみるも空しさ倍増。

ここで切符の手配をしくじったら、またこの駅でひと晩明かさないといけなくなる。そう考えただけで背筋がぞわっとする。目的地は昆明。目の前の状況に、呆然としてても何も始まらない。「重慶ー昆明 硬座 大1人」(硬座:最下クラスの座席)と書いた紙片を手に握りしめ、まっしぐらに、その塊へ飛び込んだ。

地獄絵図とはこのことだろう。老若男女問わず、我先にと押し合いへし合い。その中へ日本人ひとりが飛び込むのだから、かなり勇気と度胸がいる。しかし、ちっこいおじさん(当時はちっこい青年)は、すばしっこさにだけは自信があった。スルスルと塊の中をすり抜け、ものの10分くらいで、窓口に到着するや、スパっ!と紙片を差し出す。窓口で服務員のおばちゃんが何やらごちゃごちゃ言ってるが、これこれ!と紙片を指差し意思表示。

あっけなく人民料金で切符が買えたw 外人なので、本来なら人民料金で買えない切符も、筆談形式でやれば買える。ちなみに、ほぼ24時間の乗車距離(約1,000km)にして料金49元(当時のレートで日本円に換算すると片道1,200円)※現在は便利な世の中になってて、Trip.comでチケットを並ばずにネットで買える!

硬座の中。文字通り、薄いスポンジに、ビニールを被せたような硬いシートに、当然リクライニングもなく、直立の素っ気ない造りで、身動きできないくらい人、人、人。通路にも人。乗車率200%か?例のガヤガヤ感も、旅という解放感が手伝ってか、めちゃくちゃうるさい。狭い車内ではそれが余計に増長され反響する。何とも耐え難い、劣悪な環境。

何はともあれ、とりあえず硬座の切符は手に入れた。
改札は、それほどの混雑も無くすんなりとホームに入れた。しかし車両はボロボロやっぱりちゃんとそういうオチが付いてくるのは、中国ならでは。床に穴が空いて線路が見えてるは、窓ガラスも所々割れて風が吹き込んでくるような、今にも崩壊しそうな列車。これで24時間、1,000km走れるのかと、少々心細くなってきた。

つづく

世界一周の旅(重慶~昆明)

30mar1992(mon)~31(tue)くもり

辺りは薄暗くなり、夕方6時頃、ようやく重慶駅にたどり着く。早速、少しは寝なきゃと、良さ気な場所を探す。

重慶售票処の建物内は人だかりで、寝れそうな場所は既に現地の人々で占領され、床に座る隙間さえない状態。すでに毛布にくるまって寝てる人もいる。仕方ないので、外ベンチで一夜を明かすことにした。この旅で初めての野宿、ちょっとドキドキ。とにかく寒い。30分ほどウトウトするが、4人掛けのベンチだというのに、6人くらいでおしくらまんじゅう。で、結局寝れない。

深夜0時。駅の広場は灯りひとつなく真っ暗闇。にもかかわらず、人々のひっきりない往来。そして例の中国人のガヤガヤ感は、まったくもってイラっとさせる。声がやたらとデカイ上に、早口で強弱の効いたあの独特のイントネーションが、更にイライラ感をつのらせる。公衆エチケットの概念があからさまに欠如しているので、女性でも平気でその辺に痰をぺっぺと吐く。ティッシュなんてないので皆、手鼻がうまい。ちぃ~ん!スパっ!!と、歯切れの良いテバナ(汗)子供がオシッコと言うと、広場の適当な場所でシャーっとさせる。だから子供には最初から、前とお尻に穴の開いたズボンを履かせている。合理的だ(笑)

食べ物のカスはもちろん、種好きが高じ、ヒマワリ、スイカ、ナンキンマメ、ありとあらゆる種の殻を膨大に排出し、ぺっぺと周辺にまき散らすので大量のゴミの山が、あちこちに積み上がる。ゴミ箱に捨てるという考えは全くない。あるいは、ゴミ箱が無いから持ち帰るということもない。人から排出されるモノは、すべてゴミじゃないという考えだ。そう断言する!人が息を吸って、吐く=モノを食べて、出す。というように、現地の人々にとっては生理現象の延長上にあり、しかしそれは社会一般で言うところのゴミなんだぜと、諭してやりたい(汗)

地面はもちろん、ありとあらゆる平面が、ゴミ箱と化す。いや斜面も。いったん手に取るか、何かにくるんで捨てるならまだしも、老若男女、皆せっせ、ペッペッと吐き捨てる。それはそれは、驚くべき国民性と言おうか、社会性と言おうか、、、

深夜2時頃、ようやく人々の往来はおさまり、辺りは静けさに包まれ、、、
たかと思いきや、バスも走ってないと思う3時頃、どこからともなく、ど~っ!と人が押し寄せてきた。わぉ!団体で押し寄せる勢い。こ、コワイ、恐怖すら感じさせる光景。

朝の4時。まだ薄暗い中、天秤棒のバケツから、もうもうと湯気を放ちながら、何かを売り歩くおばちゃん。バケツの中を見るとお粥。「アツアツの粥、アツアツの粥、いらんかぇ~」みたいな感じで、待合の人々に売り歩いているのだ。「どや、これウマイで、買わへん?」と、声を掛けてくるが、ほとんど寝ておらず、朦朧とした気分では食欲も湧いてこない。

結局、ベンチに座ったまま、朝を迎えたのだった。(当時の日記を加筆)

中で寝ることはあきらめ、少し駅周辺をブラブラしてみる。基本的に真っ暗という印象で、露店の灯りでようやく足元が確認できる感じ。宿の呼び込みらしき婆さんが声を掛けてくる。その婆さんに応じ、我是日本人…日本人だけど泊まれるか?と聞いてみるが、婆さん、は?という顔でキョトンとしている。傍にいたおっちゃんが見かねてか「この人日本人だってさ」と喋ってくれた。察するに、日本人という発音が婆さんには聞き取れなかったのだろう(汗)、、、すると途端に、いままで穏やかだった婆さん、別人になったかのような態度で、不、不!!(ダメ、ダメ、あきまへんがな!)って。当時、日本人観光客は珍しい部類に入り、ましてや反日感情という概念すら浮き彫りにされていなかった時代だったと思うが、基本的に外国人が泊まれる宿は限られていた。小さな宿(旅社、招待所)は、人民しか泊まれないという制限があった。
つづく

世界一周の旅(重慶)

30mar1992(mon)晴
朝の8時30分に重慶に到着。
晴の日だと思うが、空は黄色味を帯び、景色が鮮明に見えず。

重慶船着き場


色々と考えたが、ここから先へのフェリーが有るのかさえも分からず、万が一フェリーがあったとしても、このまま遡上するよりは、ここで1泊し、明日の列車で昆明へ向かうことに決めた。

今夜の宿を探すため、市内観光がてら街を徘徊する。
しかし、なんとも坂と階段の多い町だ。フェリー発着所からは、長い登りを黙々と宿を求めて歩く。歩く、、、まずは安宿を探すが、どこもダメ。素っ気なく、没有!!まったく、どこの宿でも決まり文句のように、 没有!! 日本人と分かった途端に没有!という中国人もいる。まったくもって重慶は、没有!の印象しか残ってない(笑)

重慶駅 空も建物も地面も人も車も、みんな、ぜ~んぶ、靄にかかった感じ。黄色い粉塵が覆ったような独特の色。

どこをあたってもダメ。こんなところで宿無しって、マズイじゃん。高級そうなホテルなら泊まれるだろうと交渉するも、やはりどこも没有。もぅダメ。あたりは薄暗くなりはじめた。それでなくとも、日中からすでに薄もや状にガスが掛かって、街の風景が鮮明に見えない。この時は霧かなにかの気象条件でガスってるのかと、気にも留めなかったが、いま思うと中国の大気汚染がすでに始まっていたのだ。後で調べてみると、このころの重慶は、中国でも有数の大気汚染の街ということだった。

朝から歩き続けて、もう宿を探す気力もなくなり、ついに重慶车站(駅)で野宿しかないと覚悟を決め、駅へと向かう。この旅で、この時ほど、心細い経験というのもなかった。当時は街灯もまばらで、夕方になると急に街が暗くなったという印象で、街の灯りらしい灯りもなく、半ベソ状態で駅を求め彷徨い歩く。

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岩手県で建築設計事務所を主宰する建築家、猿渡浩孝によるブログ