葛西臨海公園クリスタルビュー

折角の東京。講師研修だけで終わってしまっては勿体ない。なので早めに岩手を発ち、葛西臨海公園に建つクリスタルビュー(設計:谷口吉生)の見学がてらシーサイドランしてきた。

あいにくの雨だったが、小雨なので傘を差しつつ、景色を楽しみながらゆっくりジョグ。

FR鋼とガラスで構成された、とてもシンプルな建築。
外皮をガラスで構成した建物は、世界各地いたる所にあるが、その中で最も身近で有名なのは、ファンズワース邸(設計:ルートヴィヒ・ミースファンデルローエ)だろう。余談だが、死ぬまでに見ておきたい建築のひとつである。

数あるガラス建築の中で、このレストハウスは好きな建築。そして何度もここへ訪れている。

FR鋼で構成された構造体が、一体的な外皮となり浮遊感を与える。葛西臨海公園駅を降り立つと真正面に、ス~ッと空に溶け込むように佇んでいる。

この傍に、同氏設計の葛西臨海水族園が建つ。
通称、ウミボウズ

世界一周の旅(重慶~昆明)

30mar1992(mon)~31(tue)くもり

辺りは薄暗くなり、夕方6時頃、ようやく重慶駅にたどり着く。早速、少しは寝なきゃと、良さ気な場所を探す。

重慶售票処の建物内は人だかりで、寝れそうな場所は既に現地の人々で占領され、床に座る隙間さえない状態。すでに毛布にくるまって寝てる人もいる。仕方ないので、外ベンチで一夜を明かすことにした。この旅で初めての野宿、ちょっとドキドキ。とにかく寒い。30分ほどウトウトするが、4人掛けのベンチだというのに、6人くらいでおしくらまんじゅう。で、結局寝れない。

深夜0時。駅の広場は灯りひとつなく真っ暗闇。にもかかわらず、人々のひっきりない往来。そして例の中国人のガヤガヤ感は、まったくもってイラっとさせる。声がやたらとデカイ上に、早口で強弱の効いたあの独特のイントネーションが、更にイライラ感をつのらせる。公衆エチケットの概念があからさまに欠如しているので、女性でも平気でその辺に痰をぺっぺと吐く。ティッシュなんてないので皆、手鼻がうまい。ちぃ~ん!スパっ!!と、歯切れの良いテバナ(汗)子供がオシッコと言うと、広場の適当な場所でシャーっとさせる。だから子供には最初から、前とお尻に穴の開いたズボンを履かせている。合理的だ(笑)

食べ物のカスはもちろん、種好きが高じ、ヒマワリ、スイカ、ナンキンマメ、ありとあらゆる種の殻を膨大に排出し、ぺっぺと周辺にまき散らすので大量のゴミの山が、あちこちに積み上がる。ゴミ箱に捨てるという考えは全くない。あるいは、ゴミ箱が無いから持ち帰るということもない。人から排出されるモノは、すべてゴミじゃないという考えだ。そう断言する!人が息を吸って、吐く=モノを食べて、出す。というように、現地の人々にとっては生理現象の延長上にあり、しかしそれは社会一般で言うところのゴミなんだぜと、諭してやりたい(汗)

地面はもちろん、ありとあらゆる平面が、ゴミ箱と化す。いや斜面も。いったん手に取るか、何かにくるんで捨てるならまだしも、老若男女、皆せっせ、ペッペッと吐き捨てる。それはそれは、驚くべき国民性と言おうか、社会性と言おうか、、、

深夜2時頃、ようやく人々の往来はおさまり、辺りは静けさに包まれ、、、
たかと思いきや、バスも走ってないと思う3時頃、どこからともなく、ど~っ!と人が押し寄せてきた。わぉ!団体で押し寄せる勢い。こ、コワイ、恐怖すら感じさせる光景。

朝の4時。まだ薄暗い中、天秤棒のバケツから、もうもうと湯気を放ちながら、何かを売り歩くおばちゃん。バケツの中を見るとお粥。「アツアツの粥、アツアツの粥、いらんかぇ~」みたいな感じで、待合の人々に売り歩いているのだ。「どや、これウマイで、買わへん?」と、声を掛けてくるが、ほとんど寝ておらず、朦朧とした気分では食欲も湧いてこない。

結局、ベンチに座ったまま、朝を迎えたのだった。(当時の日記を加筆)

中で寝ることはあきらめ、少し駅周辺をブラブラしてみる。基本的に真っ暗という印象で、露店の灯りでようやく足元が確認できる感じ。宿の呼び込みらしき婆さんが声を掛けてくる。その婆さんに応じ、我是日本人…日本人だけど泊まれるか?と聞いてみるが、婆さん、は?という顔でキョトンとしている。傍にいたおっちゃんが見かねてか「この人日本人だってさ」と喋ってくれた。察するに、日本人という発音が婆さんには聞き取れなかったのだろう(汗)、、、すると途端に、いままで穏やかだった婆さん、別人になったかのような態度で、不、不!!(ダメ、ダメ、あきまへんがな!)って。当時、日本人観光客は珍しい部類に入り、ましてや反日感情という概念すら浮き彫りにされていなかった時代だったと思うが、基本的に外国人が泊まれる宿は限られていた。小さな宿(旅社、招待所)は、人民しか泊まれないという制限があった。
つづく

世界一周の旅(重慶)

30mar1992(mon)晴
朝の8時30分に重慶に到着。
晴の日だと思うが、空は黄色味を帯び、景色が鮮明に見えず。

重慶船着き場


色々と考えたが、ここから先へのフェリーが有るのかさえも分からず、万が一フェリーがあったとしても、このまま遡上するよりは、ここで1泊し、明日の列車で昆明へ向かうことに決めた。

今夜の宿を探すため、市内観光がてら街を徘徊する。
しかし、なんとも坂と階段の多い町だ。フェリー発着所からは、長い登りを黙々と宿を求めて歩く。歩く、、、まずは安宿を探すが、どこもダメ。素っ気なく、没有!!まったく、どこの宿でも決まり文句のように、 没有!! 日本人と分かった途端に没有!という中国人もいる。まったくもって重慶は、没有!の印象しか残ってない(笑)

重慶駅 空も建物も地面も人も車も、みんな、ぜ~んぶ、靄にかかった感じ。黄色い粉塵が覆ったような独特の色。

どこをあたってもダメ。こんなところで宿無しって、マズイじゃん。高級そうなホテルなら泊まれるだろうと交渉するも、やはりどこも没有。もぅダメ。あたりは薄暗くなりはじめた。それでなくとも、日中からすでに薄もや状にガスが掛かって、街の風景が鮮明に見えない。この時は霧かなにかの気象条件でガスってるのかと、気にも留めなかったが、いま思うと中国の大気汚染がすでに始まっていたのだ。後で調べてみると、このころの重慶は、中国でも有数の大気汚染の街ということだった。

朝から歩き続けて、もう宿を探す気力もなくなり、ついに重慶车站(駅)で野宿しかないと覚悟を決め、駅へと向かう。この旅で、この時ほど、心細い経験というのもなかった。当時は街灯もまばらで、夕方になると急に街が暗くなったという印象で、街の灯りらしい灯りもなく、半ベソ状態で駅を求め彷徨い歩く。

世界一周の旅(武漢~重慶3)

29mar1992(sun)くもり

朝、体温を計ったら37.8℃あったので、布団にくるまっていたが、いつものことだけど、早朝からヤケに騒がしくて寝付けない。斜め向かいのおじさんに、風邪薬をもらう。ありがとう。明日は重慶。(当時の日記から引用)

この日は、三峡の景観が一番素晴らしい場所を航行するというのに、風邪で元気が出ず、甲板にすら出る気が起きない。三峡ダム建設が着工されたのは、翌年の1993年。実にタイミングの良い状況下ではあったが、熱で頭がボぅ~としていて、自分自身の中では、かなり歴史的な出来事になるに違いないというのに、、、うわの空。

同室のヤンチャ系と、ひと目で想像がつく中国人2人組とはちょいちょい、他愛ない世間話しや、食事のこと等々、ツッコんだり、ツッコまれたりしていて、かなり仲良くしてくれていた。

ある日の、食堂での出来事。
そのヤンチャなチンピラ風青年に「これクエ!」と差し出されたのが、
ニワトリアシ~!!
わぉ!この足、どこ食うね~ん!ちゅうツッコミ入れたのはもとより、不気味な鋭い爪をこちらに向けて、グ~パ~、グ~パ~させながら、ニタニタしている。なんともヤンチャ系ならではのツッコミに、苦笑いするしかない。

当時、そういうのを食材にするという概念が日本人のボクにはまったく無かった。足を食う中国人って、バケモノか?!と思ったくらい、プチショッキングな出来事だった。
中国人の食事について、良く比喩されるのが、空を飛ぶものは飛行機以外、四つ足のものは机以外、、、なんでも食す!と。

そのチンピラ風青年に「おい!起きて外に出るアルょ!!」と促され、ベッドを出て甲板に向かう。曇りがちな天候も手伝い、まさに水墨画のような景観が目の前に広がる。ここを航行できるのも今年いっぱい。三峡ダムの工事が始まれば、それこそ、上海から長江をずっと船で遡ることなんてできない。(三峡ダムには、上流と下流の落差を行き来できる5段もの閘門があり、これを介し航行できるらしいwikipediaより)航行記念日的な、今日この日、この瞬間!ということで、ヤンチャ系チンピラ風青年二人組と記念撮影。パシャ!

世界一周の旅(武漢~重慶2)

27mar1992(fri)くもりのち雨
上海から長江を船で移動。

当時の中国は、まだまだ発展途上にあり、日本の感覚でいうと、20年くらいのズレはあったんだろうと思う。無茶苦茶ダッサイ服装に加え(中にはまだ人民服の人もいるくらいだった)現代における社会通念としての根本的常識がまるで日本とは違っていた。生きるということに貪欲であり、それゆえか、なりふり構わない振る舞いには腹立たしささえ感じる。その一方で、もしかすると自身が忘れていた、あるがままの人間らしさというものを呼び起こしてくれるような気もする。そういう気分にさせられる不思議な感覚を、少なからずいまでも中国に感じる。高度成長と共に北京オリンピック以降、街は洗練され、人々の感覚は徐々に希薄となり、現代的になってきているのは事実だが…

中国(上海、北京)には2008年にも行っており(目的は、客家円楼<福建土楼>を見るため)ギトギトした人間の生き様が如実に現れたりする裏路地(胡同)をあえて徘徊する。道端で練炭を起こし、もうもうと湯気をたぎらせ、夕餉の準備をする人たち。その風景をカメラに収めようとすると「ちょっとアンタたち、なにカメラ向けてんのよ!しっしっ!!」と、露骨に大声で追い払われたり。街灯もまばらな、暗く細い路地の怪しげな雰囲気にドキドキ興奮したり。そういう風景がたまらなく好きだったりする。かつての幼いころの日本の風景を彷彿とさせてくれているような。

そんなある意味、素朴(ピュア)であろう同室の中国人たちと仲良くなったまでは良かったが、筆談攻めには参った。そろそろ就寝時間だろ!っていうのに、寝かせてくれない。大体が喋り出したら、止まらない猪突猛進人種。
当時の日記をみると…

28mar1992(sat)晴時々くもり
夕方頃から寒気がする。どうやら風邪をひいたらしい。鼻も詰まる。熱いシャワーを浴び、晩メシ食って早々に寝ようとしたが、またしても筆談の渦中に…結局、寝たのは23:00を過ぎていたと思う。

建築家なしの建築

意外と身近なところに「ナニコレ?」的な建築や、ちょっとした街並みが存在する。

門は有るけど、家が無くて庭みたいになっていたり…
明らかに普通に建てられた建築だけど、妙に建築家好みのプロショーンだったり…
家と家の隙間に家が入れ子のように建っていたり…
外壁を張っていない建築中の夜景や…
コンビナートの支離滅裂な様相…

そういうの見るとワクワクしちゃう!

それっておそらく、意図(作為)しない場当たり的な恣意性が良かったりするんじゃないかなぁ?と、思っていて。考えずに建物を造っていった結果として、建築家の意図を超える時だってあるのだろう。まぁでも、それは結果論であって、さらに万人受けするものではないということもわかってはいるが、著作権が不明な分、ちょっとパクってみても良いかな??と、正直思うときもあったり(汗)ま、多かれ少なかれ、経験値を元にデザインというものは成立するものだからね。

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